親父が緩和ケア病棟に入院しました
同居している要介護2の親父ですが、先月からいろいろあった結果、今月初めから緩和ケア科のある病院に入院することになりました。
なので、ことの経緯を書いていくことにします。
親父が緩和ケア科に入院しました
先週、3月初め。このブログでもたびたび記事にしてきた親父が、病院の緩和ケア科に入院しました。
あるじのいなくなった介護用ベッドは、何だかもの寂しさを感じます。
このご時世なので、入院時にPCR検査を実施。その後2日程度は個室にて隔離するとのことでした。今では隔離も解除されて、4人部屋に移動しています。
2022年になって、しかも2月になってから急にいろいろ起きて、3月から入院する運びになりました。
少しのキッカケから一気に変化するもので、僕の中でも整理がまだついてないんですよね。
なので、今回の記事は僕の心の整理も兼ねている、のかもしれません…。
入院するまでの経緯
親父が肺ガンの手術を受けたのは2016年4月。
それ以後の経緯は酸素濃縮器を導入した際にいろいろ書きました。
術後は定期的に検診を受けていて特に問題は出てなかったのですが、去年の中ごろから事は起き始めました。
2021年6月の検診で肺ガン再発を指摘され、
親父本人が積極的治療を望まないことを伝えて経過観察となり、
11月には在宅酸素を常につけるようになり、
2021年の年末に血たんが出始めて、
でもこれは一時的なもので年内には出なくなったけど、
2022年1月に入ってから、不整脈が出始めて、
それが心房細動にまでなって、
通院もキビシくなりそうだ、ということで1月下旬から訪問診療に切り替えて、
同時に訪問看護にも来てもらうように手配して、
まずは心不全と足のむくみを治そう、と利尿剤の処方が始まって、
2月初めの朝、親父が僕を呼ぶ声に気づいて急いで起きてみると、
親父「目が回って起きれない…」
ひとまずベッドに寝かせて、訪問診療の先生に連絡して急遽診てもらいました。
一時的なものだろうと思われたけれど「体を起こすと目が回る」はおさまることはなく、これ以後、親父は寝たきりとなります…。
寝た状態での食事は難しく本人も食欲がない、せめて水分は取らせないと…
水分はトロミをつけたお茶やOS-1ゼリーを与えることにして、
飲み込む力も落ちてるので、栄養面もヨーグルトやスープなど液体系中心にして、
ずっと寝てることで床ずれができ始めたので、床ずれ対応のエアマットに交換して、
2月4週目になって、幻覚や幻聴を言うようになって、
幻覚で見える人に対して呼びかけるようになって、
「トイレまで連れてって」とか、寝たきり状態を理解してない発言も出始めて、
そんな時、ちょっと目を離した隙にベットから落ちてるのを見つけて、
足から流血してて、訪問診療に連絡して急遽処置してもらって、
僕が寝不足状態なのを見て、睡眠薬と幻覚抑制の薬を処方してくれたけど、
飲ませてみたら、翌日に意識が飛んだ状態(一点を見つめて口が空きっぱ)になって、
この状態では自分でたんを吐き出せない、ということでたんの吸引機を急遽手配して、
訪問看護の看護師さんからレクチャーを受けて、僕が吸引機を使えるようにして、
看護師さんがたんの吸引をしてくれたんだけど、それがよっぽど苦しかったのか親父が意識を取り戻して、
せっかくだからと僕がたんの吸引をやってみたけど、あんまりうまく取れなくて、
といった感じで、2月になって寝たきりになり、意識障害も起きたりして大変な状況でした。
一方で、今後のため動き始めるのは早いに越したことはない、と緩和ケア病院への入院についても話を進めていました。
緩和ケア病院への入院準備というのは、
・病院見学を予約
・病院を見学
・選択した病院に対して入院申込
・順番が来たら入院
というのが一般的な流れのようです。
訪問診療の診療所さんから紹介された病院は5ヶ所。うち3ヶ所を選択して見学予約しました。
その1ヶ所目。2月末に兄姉に行ってもらったところ、「2日後に入院できます」とのこと。この時僕は、親父のせん妄やら、たんの吸引機やら、いろいろ抱えて寝不足状態。そんな状態を見かねて「入院させよう」と。
急遽行われた約1時間の家族会議を経て、その病院に入院させることが決まりました。
入院前夜
入院前日、状況を理解したうえで入院してほしかったので、親父には入院についてしっかり伝えました。
緩和ケア科に入院してもらうこと
僕が寝不足気味なのを心配して兄姉が入院先を決めてくれたこと
(病院の方針で面会は1日30分と決められているので)入院すれば僕ら家族とは自由に会えないこと
それに加えて僕の正直な想いも伝えました。
「入院という選択が正しいのどうか正直わからない。結果的には親父の寿命を縮めることになるかもしれない。僕のような『専属看護師』がいなくなるから不便なこともあると思うけど、ウチより病院の方が医療的な対応は圧倒的に良くなるはずなんだ。あと、僕はキッカケとなっためまいが出なくなって不整脈も落ち着いたら、またウチに戻ってこれるくらいまで回復すると思っているのね。だから、親父も『良くするための入院』だと思って、ウチに戻ってくるつもりでいて欲しい。諦めずにガンバって欲しい。頼むよ。」
緩和ケアに入院となれば、やはり「最期が近い」と考えてしまう。でも僕は親父にそういうふうに考えて欲しくなかった。当然、肺ガン治療を本人が望んでいない以上、いつかはその最期が訪れる。だけど「病は気から」という言葉があるように、本人があきらめちゃったらその時期が早まってしまうような気がする…。僕は親父に少しでも長く生きていて欲しい。その想いを伝えておきたかった。
親父は「わかった。ありがとう」って言って微笑んでくれました。親父がどういうふうに受け止めたのかはわからないけれど、僕の本音を伝えることできたのは良かったかな、と考えてます。
入院してから…
先日、業者さんがベッドと吸引機を引き上げていきました。介護保険を利用したレンタル品なので致し方ないことです。.
ベッドが撤去されて、親父が使っていたものがまた1つ、ウチからいなくなりました。
その部分だけ畳の色が違うというのが、逆にそこにベッドがあったことを感じさせます。
今まであったものがなくなる(しかも、その痕跡がある)と、寂しさが倍増しますね…。
入院してからは毎日お見舞いに行ってます。1日30分だけ、という病院側が設定した制約があって、それまで24時間顔を合わせてたのと比べれば短い時間だけど、毎日顔を合わせることが大事だと思うので続けていこうと考えてます。
今年に入ってからいろいろ起きました。バタバタした中で大きな決断を迫られ、なんとか決断できました。今のところはその決断に後悔はありません。
人間の健康なんて、いつどんなキッカケで大きく変わるかわかりません。もしかしたら明日、近しい人や自分の身に何か起きるかもしれない。そんな時に後悔のない決断ができるのか…?
これを読んでくださった方々には、そんな時に自分ならどうするか、を考えるキッカケにしてもらえると大変うれしいです。
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